季節は夏!(今、冬だけど)
冷房を付けない部屋でお父さんがぽつりとこぼすんですよね…。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
間違ってはいないんですけど…暑いものは暑いし、実はもっと深い意味がありますから!
『心頭を滅却すれば火もまた涼し』の意味とは?
どのような苦難や困難に遭遇しても、心の持ち方一つで、苦難や困難を感じなくなる。
意外と深いでしょ?
夏の暑さという困難も、心の持ちようによっては暑くなくなる…と。
いやまあ、確かに夏の暑さは苦難と言ってもいいかもしれないですけれど!笑
『心頭を滅却すれば火もまた涼し』の由来
出典は晩唐の詩人、杜荀鶴(とじゅんかく)の「夏日題悟空上人院」にある詩句になっています。
三伏閉門披一衲(三伏(さんぷく)門を閉ざして一衲(いちのう)を披(き)る)
兼無松竹蔭房廊(兼ねて松竹の房廊(ぼうろう)を蔭(かげ)にする無し)
安禅不必須山水(安禅(あんぜん)必ずしも山水を須(もち)いず)
滅得心頭火自涼(心頭を滅得すれば火も自(おのずか)ら涼し)訳
三伏の炎暑の時には寺の門を閉ざして、きちんと僧衣を着て座禅する
寺には部屋や廊下に影を作る松も竹もない
安らかに座禅を組むのに、必ずしも山水の地に赴く必要はない
心の中の雑念を払い去るならば火でさえも自然と涼しく感じられる
うん、やっぱり昔から夏は暑かったみたいですね…!
ちなみに『ここから生まれた故事成語』の解説でも「現在では、夏の暑さを我慢する時にもよく使われる」と書いてあるところが面白いです。
故事成語なので意味は抽象化されていますが、現代の使用者は間違った使い方をしているわけではなさそうですね。
心の持ち方一つで何とかなるだろうか?
今回の故事成語は「根性論」に通じるところがありそうですね。
ちなみに僕は「根性論」肯定派です。
非効率だとか意味ないとか色々言われる「根性論」ですが、果たしてそうだろうか、と思うんですよね。
何事も最終的には人より多く努力した人が上にいくわけですよ。
…ちょっと言葉が足りませんでした。
効率的に意味のある努力をした人が上に行く…物事の道理ではありませんか?
だから僕が推奨するのは「効率的で意味のある根性論」です。
野球を例に挙げてみますか。
ぶっ倒れるまで素振りしよう、っていうのもただ素振りするのでは効果が薄いかもしれません。
ところが、どんなふうに素振りをするのかで当然成長の仕方も変わるわけですよね。
こうした努力は、ただ好きなことをやっていればいいものとは違って、考えなければいけない分、難しいものですね。
時にはどれだけ頑張っても上手くならないことだってあるわけです。
だから結局、試行錯誤を繰り返さなければいけないことを思えば、効率的で意味のある努力なんてものは幻想なのかもしれませんけれどね…。
で、話を戻すわけですが。
心頭滅却すれば野球上手くなるんですか?
はい、違いますよね。
心頭滅却すれば野球が上手くなるための努力を苦難や困難だと思わなくなる、って言ってるわけですよね。
結構真面目な話なんですけど、松岡修造の「できる!できる!」っていう自己暗示は、まさに心頭滅却の手順に沿っていると思うわけですよ。
できないかもしれない、という不安や雑念を「できる!」という言葉によって拭い去るわけです。
この手のセルフコントロールの手法を表現した言葉が、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」なのかなと僕は思いますね。
余談ですが、松岡修造の動画は受験生時代に散々見ていました。
ネタにされる動画なんですが、僕はあれに感動して泣きながら受験勉強してました。
1日15時間くらい。いや13時間くらいかも。
というわけで、心頭滅却すれば、松岡修造の動画にすら泣けるようになるみたいですよ!(違)