『明鏡止水』は字面も意味もかっこいい四字熟語

今まで当ブログでは故事成語という観点から言葉を選んでいました。

明鏡止水』も故事成語ではあるのですが、見てのとおり四字熟語でもあります。
今回からちょっとずつ「四字熟語」という観点からも言葉を選んでいこうかな~と、あまり意味のないことを考えているのでよろしくお願いします笑

というわけで、明鏡止水です。

音ゲーが好きな方には、もはやお馴染み。
そうじゃなくても字面や意味のかっこよさから知っている人も多いのでは?

ですが、由来を知っている人は少なそうなので紹介してみます。

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『明鏡止水』の意味とは?

鏡が一点の曇りもなく明るくて、水面は波ひとつ立たない静けさである意。
転じて、心に一点の曇りもなく、静かで澄みきっている状態にたとえる。

心に一点の曇りもない。明鏡止水。
かっこいいですねー!

今回の言葉の意味や由来は、『成語大辞苑』からの引用です。

『明鏡止水』の由来とは?

出典は『荘子』徳充符(とくじゅうふ)篇の二つの話に基づきます。
両方引用してみましょう。

まずは一つ目から。

魯の国に王駘(おうたい)と呼ばれる賢人がいた。
孔子より弟子が多く、しかも片足を切られた人物であった。
同じ魯の人、常季(じょうき)が孔子にどうして彼はあんなに人気があるのかと問うた。
孔子は「人は流れる水を鏡とせず、静止した水を鏡とするものです。それは、静止した水すなわち止水のみがすべてのものを静止した姿そのままに映し出せるもの、あの人は自分の心を正しくしているので人々の心を正しくし、人をひきつけるのだ」と答えた。

孔子が出てきましたね。
孔子に言われたら「そういうものか」と思わなければいけないような気がします…笑

次は二つ目です。

鄭(てい)の国の申徒嘉(しんとか)と呼ばれる賢人の話である。
時に鄭の名大臣として知られた子産(しさん)が、彼に「君は大臣たるわしを見ても敬意を表して避けることもしないのはどうしてか」と問うた。
申徒嘉は、「あなたは自分が大臣であることを鼻にかけ、人を軽蔑なさるが、『鑑(鏡に同じ)に曇りがないのは塵がつかないからで、塵がつくと曇る』ということわざのように、あなたは伯昏無人(はくこんむじん)という大先生につくこと久しく、過ちがなくなるはずなのに、なおそのようなことをおっしゃるのは明鏡に塵が止(とど)まるのと同じではないですか」といった故事。

一見難しいことを言っているようにも見えますが、塵の付いた鏡は「明鏡」とは言えないということですね。
明鏡ではない塵の付いた鏡なんて、曇っていて鏡として使い物にならない=愚か、正しくない…といった意味になるのでしょうか。

いずれにせよ、「明鏡」の方がきれいで印象がいいですもんね。

『明鏡止水』はかっこいい

この四字熟語は二つの熟語をくっつけて構成されていますよね。

明鏡」と「止水」です。

明鏡は、曇りのない鏡のこと。
止水は、流れずに止まっている水のこと。

意味に「心に一点の曇りもなく、静かで澄みきっている状態にたとえる」とあるように、どちらも似たような意味の熟語が合わさって構成された四字熟語です。

字面も意味もかっこいい完全無欠な言葉です。
ましてやそれが「明鏡止水」の精神を備えた人物なんて表現にでもなれば、もはやアニメにでも出てきそうなキャラクターになります。

ですが、実際のところ何事にも動じず慌てない落ち着きは誰にとっても肝要です。

何をやるにしても慌ててしまっては、うまくいかないことばかりですからね。
学業にしろ仕事にしろ。

この世の中、落ち着き払って余裕に溢れた人物が、何事もうまくこなしている気がしませんか?

本当にかっこいのは、「明鏡止水」という言葉以上に、「明鏡止水」の精神を備えた人物なのかもしれませんね。

僕もそんな人物になりたいです。