『一将功成りて万骨枯る』は歴史の教科書に載せたい故事成語

あまり耳慣れない故事成語ですよね。

今回の『一将功成りて万骨枯る』は、
国語の教科書よりも歴史の教科書に載っていると色々考えさせられる内容です。

もう教科書の扉とかに意味付きでさらっと書いておけばいいと思いますね。

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『一将功成りて万骨枯る』の意味とは?

上に立つ指導者だけが功績を称えられるが、事を成すには多く無名の人たちの力があったことが忘れられている。

歴史の授業で覚える偉人の名前ですが、もちろん彼らが一人で何かを成し遂げるわけではありませんよね。

そのような人々が偉人と称えられる一方で、無名の人たちの尽力は歴史に残らない。
『一将功成りて万骨枯る』は、そんな憂いの含んだ故事成語です。

今回も意味や由来はこちらから引用しています。

『一将功成りて万骨枯る』の由来とは?

出典は晩唐の詩人、曹松(そうしょう)の『巳亥歳(きがいのとし)』という詩にある詩句から。

沢国江山入戦図
(沢国江山(たくこくこうざん)戦図(せんと)に入る)
生民何計楽樵蘇
(生民(せいみん)何の計ありてか樵蘇(しょうそ)を楽しまん)
憑君莫話封侯事
(君に憑(よ)りて話す莫(な)かれ封侯(ほうこう)の事)
一将功成万骨枯
(一将功成りて万骨(ばんこつ)枯る)


水郷の国の山や河も戦場となって荒れ果てて、
人々は木こりや草刈りという日常の生活を楽しめなくなってしまった
どうか、手柄を立てて出世するなどと口にしないで下さい
一人の将軍が手柄を立てる際には、名もない多くの兵士が犠牲となり、戦場に屍をさらすのだ

訳を読むと、ちょっと切ない詩だと分かりますね。

元々の由来は、このように戦乱を風刺したものでした。
罪のない民間人や兵士たちを犠牲にすることによって、将軍は功を成している、と。

本書の解説でも「現在では、功績を評価されたのを自分のみの力と思っている人を批判する場合に用いる」と書いてあるとおり、
人は1人で何かを成し遂げることはできないという意味で使われるようになりました。

「法隆寺を建てたのは誰でしょう?」

「法隆寺を建てたのは誰でしょう?」

中学一年生が大好きなこの手の問題ですが、答えた人は絶対に外れるようにできています。

なぜなら「聖徳太子」と答えれば、「正解は『大工』でした!」って言われるし、
「大工」って答えると「『聖徳太子』だよバカじゃねーの?」となるからです。

ただの屁理屈なわけですが、実際に寺を建てるのは大工ですよね。

聖徳太子ばかりが歴史の教科書に載るわけですが、本来だったら建設に携わった全ての人の名前が教科書に載るべきなのです。

このように「歴史は名も無き人たちによって支えられている」と、
僕の中学時代の先生は授業で何度も何度も言っていました。

恐らくこう思っている人は多いでしょうし、多くの先生が授業で教えていることでしょう。

実際には携わったすべての人の名前なんて載せられないわけですよね。

でもこれがいつか電子媒体の教科書とかになったら、
関係者一覧みたいなリンクをクリックするとずらっと並ぶようにできるのでしょうか。

自分の名前が後世に残るのは、やっぱりすごいことだと思います。

万骨になってしまう「名も無き人」が、いつかみんな将軍になれたらいいなあと思ってしまうのでした。