故事成語『画竜点睛』は由来になったエピソードがかっこいい!

もはや字面だけで中二心をくすぐってくる画竜点睛ですが、一般に「画竜点睛を欠く」という使われ方が多いのがちょっと悔しいですよね。

意味や由来をまだ知らないという方は、この記事を読んでぜひトドメの一撃に「画竜点睛!」と叫んでください!笑

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故事成語『画竜点睛』の意味とは?

もっとも重要な所に、最後の手を加えて完成させること。また、肝心な所に手を加えることにより、全体が見違えるように良くなること。

ご存じ、トドメの一撃ですね。

僕は中学校で習ったような覚えがありますし、太鼓の達人に入っていてよく目にしていた記憶があります!

意味と共にやっぱり由来になったエピソードがかっこいい故事成語なので、紹介していきましょう。

故事成語『画竜点睛』の由来

出典は唐代に書かれた張彦遠(ちょうげんえん)の画論と画史の著『歴代名画記』にある話です。

南朝梁の武帝は仏教寺院を美しく飾るために、張僧繇(ちょうそうよう)に命じて寺院に壁画を描かせた。
僧繇は金陵(南京市)の安楽寺の壁に描いた四匹の竜には、ひとみを描き入れなかった。
人には「睛(ひとみ)を点せば即ち飛び去らん(ひとみを書き入れたらすぐさま竜は飛び去ってしまうだろう)」と言っていた。
人々はでたらめだと思い、強く頼んでひとみを描いてもらった。
たちまち雷が鳴り壁が壊れて、二匹の竜は雲に乗って飛び去った。
ひとみを入れなかった二匹の竜は今も残っている。

えーっと、具現化系の能力者のお話かな?

という冗談はともかく、竜を竜たらめしる最後の睛こそ「画竜点睛」だというわけですね。
睛を書き入れたことによって飛び去ってしまう竜はイメージしやすく、覚えやすいのではないかと思います。

画竜点睛を欠くことが画竜点睛?

画竜点睛を欠く」という熟語がありますね。
全体としては良くできているが肝心な所が欠けているため精彩がないこと」という意味です。

日本人の美意識の1つに未完成性や不均等や不完全といったあえて整えないものを称賛する文化があります。
「わび」「さび」とか、禅の思想にも通じる部分です。

『茶の本』で有名な岡倉天心が言っていますね。

「茶道の本質は、不完全ということの崇拝――物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある。
不可能を宿命とする人生のただ中にあって、それでもなにかしら可能なものをなし遂げようとする心やさしい試象が茶道なのである。」

まさにエピソードに見られる画竜点睛の寓話は、「完全」になってしまうことによる芸術の終焉「完全」という非存在を同時に語っているわけですね。

なのでやはり「画竜点睛を欠く」=「精彩がない」とネガティブな意味で使われるのはちょっと納得がいかない!笑

むしろ「画竜点睛を欠いている状態」は自然な状態であり、点を入れないことこそがトドメの一撃、それこそ画竜点睛なのだと、僕は、主張したい!

いやまあ何が言いたいかというと、岡倉天心が言っているようにだいたいの物事はどんなに完璧にやったつもりでも完全なんてものにはならないんですよ。

完全が存在しないなら、思う存分、不完全を認めつつも最後の一点を目指せばいいんです。

余談ですが、僕はかつて運動部から美術部に転部したことがあります。

そこで多くの絵を描きました。

ほとんどが風景画なわけですが、あれって拘りだしたらきりがないんですよね。
存在しない完全を追い求めてしまうんです。

しかしいつかは完成させなければいけない。
その時に助けてくれるのが〆切ですよね。
だいたいはコンクールとか文化祭に向けて描いているわけですから。

〆切ぎりぎりまで描き続け、とっくに完成させてもいいはずなのに拘り続ける…。
そんな苦労に「画竜点睛を欠いている」なんてどこのどいつが言えます?

こっちは画竜点睛のつもりで頑張っているのに笑

…ま、コンクールに入賞できたのは一度だけなんですけどね。

というわけで、今回は画竜点睛でした!