国内古典ミステリの傑作!三大奇書『虚無への供物』の感想・レビュー!

中井英夫『虚無への供物』、ご存じですか?

『ドグラ・マグラ』
『黒死館殺人事件』

ここに『虚無への供物』を加えて三大奇書という扱いになっていますよね。
いったい誰が言い出したのか知りませんが…。

恐らく読んだ人の大半が「奇書」と呼ぶほどのものではない、と評価を下すと思います。
少なくとも一定の論理性は見られるし、正統的な面白さを持った作品ですから。

今回はそんな『虚無への供物』を紹介してみます。

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『虚無への供物』の感想・レビュー

『虚無への供物』のあらすじ

昭和二十九年の洞爺丸沈没事故で両親を失った蒼司(そうじ)・紅司(こうじ)兄弟、従弟の藍司(あいじ)らのいる氷沼(ひぬま)家に、さらなる不幸が襲 う。密室状態の風呂場で紅司が死んだのだ。そして叔父の橙二郎(とうじろう)もガスで絶命――殺人、事故?駆け出し歌手・奈々村久生(ななむらひさお)ら の推理合戦が始まった。

今回はAmazonから引用させてもらいます。
重厚な内容なので、僕が書くときっとこの10倍くらいの長さになってしまう気がするので…。

加えて今回は恣意的にあらすじをまとめるのを避けたかったという理由もあります。
で、以下を読んでいただければ、その理由も分かって頂けるかと思います。

何に面白さを見出すか

今となっては三大奇書に影響された作家が大勢世に出ているので、昔ほど奇を衒った感は薄れているはずです。

なので『三大奇書』という呼称は、あくまでも過去の世論だということを理解してから読んだ方がいいです。

そういうこともあって、Amazonレビューなどで酷評しちゃうのは、最近の本に慣れた若い読者なんじゃないかなと思います。
この手の「古典ミステリを酷評しちゃう系の読者」議論は以下の記事にて見解を示しています。

ミステリとして読んでしまうと、「え、こんなもんなの?」と拍子抜けしてしまう人がいるのは無理からぬこと。
トリックにしろ、ファーブラにしろ、プロットにしろ、どれもこれもあっと言わせるような派手なものではないですから。

アンチ・ミステリーというミステリの一ジャンルとして従属しなければ存在しえない皮肉なカテゴリも、今日では突き抜けた衝撃にはなりえないのです。

しかし、今なお読み継がれるには理由があります。

「何に面白さを見出すか」

と上げたのは、まさにトリックやプロットなどの表層的に言われる「ミステリ」に面白さを見出さなきゃ読めない人には、向いていないということです。

過去のミステリの積み重ねを現代の作家が享受して昇華させているのを思えば、トリックが云々とか展開が云々なんて話でベストワンに選ぶことはできないはずです。
そう言う人はさすがに最近のミステリを読んでないにもほどがあります。

歴史的価値と世間的評判は、実際の内容と分けて考えなければ。

だとしたら何を読むのか?

夏目漱石や芥川龍之介や太宰治が今なお若い読者に読まれ支持されている理由は?

それと同じです。

そこには時代を問わない普遍性が存在しているから。

文学性ですよね。

この本は、ミステリというジャンルの中に内包された独特な文学性を感じるためにあると僕は思っています。

『虚無への供物』を読み解くキーワード

登場人物がプロットに支配されてしまいがちなミステリにおいて、『虚無への供物』に登場する人物たちは、自らのキャラクター性で、自分たちを操ろうとするプロットに必死に抵抗します。

このときの作者のモチーフ選びはとても重要になります。

作品の空気に合わないモチーフを持ち出せば、一瞬でプロットが人物を支配し、作品を台無しにしてしまうことになります。
ただでさえ人物が記号的になりがちなミステリにおいて、文学性が表現されるには、まずキャラクターが生きていなければいけません。

登場人物たちがプロットの軛から逃れたとき、ようやくミステリに内包される文学性がじわじわと滲み出てくるんですね。

で、本書はそれに成功しているんです。

黒天鵞絨(びろうど)のカーテンは、そのとき、わずかにそよいだ。小さな痙攣めいた動きがすばやく走り抜けると、やおら身を翻すようにゆるく波を打って、少しずつ左右へ開きはじめた。それまで、あてどなく漂っていた仄白い照明は、みるまに強く絞られてゆき、舞台の上にくっきりした円光を作ると、その白い輪の中に、とし若い踊り子がひとり、妖精めいて浮かびあがった。のびやかな脚にバレエ・シューズを穿き、引緊った胴から腰にかけては紗の布を纏いつけただけという大胆な扮装で、真珠母いろの肌が、ひどくなまめかしい。

これ、冒頭の文章なんですよ?

もうここから漂ってくる馥郁たる香気に何も感じないなら、読まないほうがいいです!

「踊子が踊ってる」っていう描写をこれだけのモチーフで浮かび上がらせるんですよ。
この妖しげな雰囲気が、まさに三大奇書っぽくてミステリっぽいわけですが、でもだからこそ、こうした文学性は古典ミステリの中にしか存在しないわけですね。

ワードだけとっても、「黒天鵞絨」とか「踊り子」とかわくわくしてきませんか?
「氷沼家殺人事件」に「ザ・ヒヌマ・マーダー・ケース」というルビを振るセンスも、走りは『虚無への供物』ではないでしょうか。

探偵役の一人である久生が、亜利夫をアリョーシャと呼ぶのもキャラクター性を主張していますよね。

章題は一章が「サロメの夜」二章が「牧羊神のむれ」三章が「月の夜の散歩」。

そしてなんといっても、タイトルが『虚無への供物』ですよ。

今この瞬間に、何でもないただの文字だった『虚無への供物』が、すごく意味ありげな言葉に思えてくる気がしませんか?

ね。
こんな心惹かれる言葉が並んでいるのに、わざわざ何十年も昔に考案され、今ではすっかりやり尽くされてしまったトリックだけに目を向けなきゃいけない理由はないでしょう?

(もちろんトリック自体がまったく楽しめないわけではありませんし、演出の仕方によっては古いとか全く関係なくなるわけですが、その演出に重点が置かれるのです)
そこだけを捕まえてレビューするのは、あまりにも勿体ないです。

Amazonレビューはあくまで参考程度に。(3.5とか納得いかないし!)

考察の可能性

タイトルの意味や、入れ子構造の境界など、考察する切り口は多いです。

最近のトレンドに沿うなら、前田愛の『都市空間のなかの文学』から今なお続く「都市論」で読み解くのが良さそう。

巻末の解説にも書いてあるんですけど、本書には確かに東京の地名が多く出てくるんですよね。

舞台は目白で、たぶん学習院大学や目白警察署のあるあたりだと思います。
トラッドとか小学校?とか。オシャレで僕は好きです。
あの辺も昔は学習院の土地だったって本当ですかね。

で、既に論じている研究者もいるのかもしれないですが、文学的にも大きな意味を持つ雑司ヶ谷が近くにあるわけですし、都市論は打って付けだと思います。

『虚無への供物』はこんな人にオススメ

・煌びやかなモチーフに魅力を感じる
・昭和の東京の空気に興味がある
・名作を読みたい

先にも述べたようにミステリの文学性に魅力を見出せる人ですね。
一方で、単純にミステリ的要素しか興味ない人は古典ミステリとか読んでないで、このミスとか読めばいいんじゃないんでしょうか。
(そういう人は、たぶんいつか何を読んでも面白くないミステリの病にかかってしまいますよ…)

サムネ出典