【各宗派の反応】「唯我独尊」を初めて宣言したのは、まさかの釈迦だった?

天上天下唯我独尊と聞けば「俺が世界最強の自己中だ!」みたいなイメージを持っているんですが、さすがにちょっと穿ちすぎですか?

これ、何が由来になっているんだろうと思って調べてみたら、とんでもないことが判明。

なんと、あの仏教の開祖である釈迦でした。

またの名をガウタマ・シッダルータ。

もしかしたら有名な話である可能性もありますが…僕が知らないってことはまあたいていの人は知らないでしょうね!!!
(唯我独尊!)

順を追って見ていきましょう。

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「唯我独尊」の意味

この天地の間に我より尊いものはない、と、人格の尊厳、一切の衆生の解脱を宣言した言葉。諸仏誕生時の常法とされている。

いつもの『ここから生まれた故事成語』からです。

意味を見てみると…なんか「釈迦が宣言した」までが意味に含まれている感があるようなないような。
これはいよいよ、超絶有名な話だったのではないかと思えてきました。

「唯我独尊」の由来

出典は『長阿含経』から。
「じょうあごんきょう」と読みます。

仏教の開祖釈迦の誕生時の話は種々の経典に書かれているが、『長阿含経』では、「摩耶夫人の右脇の下から生まれ、地に落ちて人に助けられないで七歩あるき、ぐるりと周りを見回して、『天上天下唯我独尊、三界皆苦、何ぞ楽しむべき者か(この世の中は苦にあふれている、どうして楽しめようか)』と言った」と伝える。

うん、あれですかね。

「ちっちぇえな」みたいな。

出典はこちら

それともあれですか。

王。みたいな。

出典はこちら

これに対して解説が続いています。

この言葉を素直に解すれば、「この世界において、私だけが尊い」の意となる。これについて、各宗派のホームページを見ても大変苦しい(?)解説がなされている。今、目の前にある経典が絶対のものとして疑わない、という立場では仕方がないのかもしれない。
(中略)
「あの人の態度は唯我独尊でいやになる。」のように、この世で最も尊いのは自分だけである、と解して『傍若無人』『自己中心』と同じ意味で用いるのは論外だが。

この解説を読む限りだと、『傍若無人』『自己中心』みたいな意味よりも、『人格の尊厳、衆生の解脱を宣言』の方に重きを置きたいように見えますね。

ていうことは、暴走族が掲げてる『天上天下唯我独尊』って、

俺、解脱成功したわ。

ってことですか!?

いい意味かと思ったら、これはこれで悪口に使えてしまいそうでどうなんだろうという。

「あの人の態度は解脱成功した宣言してるっぽくていやになる。」

とかだともはや傍若無人よりひどいぞ!

冗談はさておき、解説に面白いことが書いてありましたね。

各宗派のホームページを見ても大変苦しい(?)解説がなされている。

ですって。

ぐふ。

出典はこちら

各宗派の大変苦しい(?)解説を調べてみた!!

法華経「釈迦だからオッケー! むしろ宇宙の真理っしょ」

普通の人が言えば、超傲慢ですが、釈尊が言ったということは、宇宙の真理ということです。
つまり、世界を救えるのは、唯一、宇宙の真理だけであるので、宇宙の真理(法)は尊いのだ、ということです。
とにかく、ここに人類の大導師、お釈迦さまが誕生されたのです。 ちなみに、仏教界では4月8日にお釈迦さまの降誕会を行っています。

日蓮宗本立寺「唯我独尊はともかく、きっと天も地も祝福したと思います」

「天にも地にもただ我一人尊きもの(天上天下、唯我独尊)」
 誕生偈といわれるこの言葉にはさまざまな解釈がなされています。しかし後に悟りを開き、すべての生きとし生けるものを救おうとする聖者がこの世に現れたことを、天も地も祝福したことに変わりはないでしょう。

立正佼成会「みなさん、唯我独尊の意味を間違っています」

生誕直後、四方に7歩ずつ歩み「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」と言われたとされています。この言葉は「宇宙に存在するすべてのものは、仏のいのちを具えた尊い存在である」という意味です。

真言宗豊山派金剛院「ぶっぶー。はっずれー!」

お釈迦様が、生まれてすぐにおっしゃられた言葉で、
「この世に自分より尊いものはない。
つまり人間ひとりひとりが一つしかない命をいただいている尊い存在である。」
いう意味だよ。

真言宗智山派青龍山真福寺「釈迦の”I”とは”We”のことである」

この言葉には複数の解釈があるように思います。
◆「すべてにおき私こそが最も尊い」
◆「すべてにおき私は唯一無二であり尊い」 広く知られているのはこの解釈。
◆そしてもうひとつ。
「すべてにおき人間にしかできない使命がある。だからこそ私は尊い。」
最後の解釈で話をさせてください。
人間は尊い。

浄土宗「私が来た!!」

「天上天下唯我独尊」という言葉には、ほかの誰でもない、この私が世の人々を救うのであるという、お釈迦さまの生き様が込められているのです。

天台宗慶福寺「世界は釈迦の投影なのだ」

生きて何らかの行為を生み出す以上、私は自ら世界の生成に関与する主体として、そのすべてに責任を持たなければなりません。これに関しては誰かに代行してもらうことも、その責任を転嫁することもできないのです。その意味で、仏教の文脈が生後間もない釈尊の御口によって示そうとしたことは、まず「世界はこの私の投影なのだ」という自覚から始めなさいということだといえます。

結論

以上、各宗派が公開している唯我独尊の意味を調査してみました。
思っていた以上に面白かったです。
「面白かった」の意味はみなさん知っていると思いますが、解釈についてはご想像にお任せします。

というわけで、結論ですが…。

宗派それぞれでめっちゃ自由に解釈している!!!

唯我独尊の意味は上述したとおりですが、解釈はそれぞれなので…自分が気に入ったものを採用してください。

それにしても、どうしてどこの宗派も必ずと言っていいほど唯我独尊の解釈を公開しているんでしょうかね?

マニュアルでもあるんですか?

もしかすると、唯我独尊とはまさに宗派の分かれ目であり、その宗派のオリジナリティであり、アイデンティティなのかもしれません。

僕の好きな解釈ですか?

うーん。なんていうか。

私が来た!はもの凄くヒーロー感あってかっこいいよね。

ていうかこれ、素直に「生まれたての釈迦は人間のように愚かな考えを持っていたが、後に考えを改め悟りを開いた」ではだめなのだろうか。
その方が人の模範になるような気がするのだけれど。

ちなみに『人間でも、未熟な時は、自分ほどできる者はないと自惚れますが、いろいろと経験していくと、腰の低い人になっていきます。』と書いてあって、「お!」と思った宗派もありましたが、最終的に「我=人間」ということなのですとかいう論理の飛躍があって僕の考えではないな、となってしまったのは浄土真宗の紹介をしているブログでした。

※「我=人間」説があまりにも多かったので被っている解釈は載せませんでした。

サムネ出典はこちら