親友を意味する「知音」がかっこいい!と思ったら解説で台なしだった

親友とは。友達とは。

そんなもの知りません!
リアルに親友どころか友達ゼロの地鶏としては別に欲しいとも思えない存在ですね!!
(悔しくなんかないです!!)

でも世の中には「知音」という言葉が存在するらしく、その意味は「親友」。

あれ…かっこいい…知音だったら欲しいかもしれないぞ?

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「知音」の意味とは?

こう見えて故事成語の知音さん。

いつもの『ここから生まれた故事成語』を引用してみます。

自分の音楽を分かってくれる人。また、自分をよく理解してくれる人。心の通じあった親友。

心の通じあった親友ですって!
どうやら心の通じあってない親友も存在するらしい……。

みなさん裏切りには気をつけて……。

というわけで、どうして「知音」なの?

由来を見てみます。

「知音」の由来

列禦寇の『列子』湯問編、呂不韋編纂の『呂氏春秋』、『蒙求』などにあるお話。

『列子』にある話は、「春秋時代の琴の名手伯牙には、琴の音を聞き分けることのできる鐘子期という友人がいた。伯牙が高山を思って琴を弾くと、『ごつごつと聳える山のようだ』と言い、流れる水を思いながら弾くと、『広々とした河のようだ』と、伯牙の思いを言い当てた」で終わっている。
『呂氏春秋』には続きがあり、「鐘子期が死んだとき、伯牙は『世復た為に琴を鼓するに足る者無し(この世の中で私が琴を弾き聞かせるに足る人はいない)』と思い、琴の弦を絶ち、生涯琴を弾かなかった」とある。

お、知音という言葉そのものは出てこないんですね?

解説を読み進めてみます。

「知音」という言葉は、井原西鶴の『好色一代女』に「小遣銭くるる人有り、一年中の鬠白粉つづけるちいん有り」と用いられており、男と女が親しくなること、遊女のなじみ客となること、の意味で使われていたことがわかる。

やめろ

自分が思い浮かべて弾いた琴の音を全て理解してくれる親友のいい話が、遊女のなじみ客となる下世話な話になっちまいましたよ!

そんなの「知音」じゃなくて「痴淫」ですわ!(黙れ)

いやでも本当に漢字違いだったのでは…。
なんて、淫してみるわけですが。(度が過ぎるって意味だよ)

え、どうしよ。

もう「知音」の話終わりでよくない?

そういうわけにもいかないのでちょっと考える。

「知音」について考えてみた

友人、親友、大事ですよね。

僕にはリアルで仲の良い人間って、まあいないです。

だいたいネットで知り合ったネットの友人・親友だけ。

これはきっと時代なんでしょうね。

昔から読書とか好きだったんですけど、僕の周りに同じ趣味を持った人はいなかったんです。
学校では先生と仲良くなるような生徒でしたよ。

主に図書館の先生とかね。

まあ、友達が欲しかったら周りの好きなものに合わせればいいんですよ。

バラエティの話題が多いならテレビを見ればいい。
モンハンの話してるなら自分も始めればいい。

時代なんでしょう。

え、なんで好きでもないテレビ見なきゃいけないの?が僕の下した結論です。
(モンハンはこっそりやってた)

リアルで友達できなくても、ネットにはいくらでも気の合う人はいたので、別によかったんです!

きっとネットがない時代は、無理やり周りに合わせなければいけない人もいたのでしょう。

ちなみに、ですが。
僕にはバラエティが好きな時期がありました。
エンタとか爆オンとかレッドカーペットとか、主にお笑いですね。

もう録画して見まくってた時期があった。

小学生の頃です(歳がばれます)。

たぶん見過ぎたんだと思います。
中学生なったらもう飽きちゃった。

それ以来、テレビはもうほんとに見なくなりましたね。
年末のガキ使くらいかな。
ドラマとかアニメとか、作品になってるものはオンデマンドで見ちゃうし。

だから、こんなネットが発達した時代で、親友を越えた「知音」の持つエピソードが、すごくぴったりで良い話だなと思ったんですよ。
それを井原西鶴は……(違う)

だって、自分の音楽を知る者ですよ。

要はアイデンティティを共有することのできる存在ってことじゃないですか。

無理やり合わせなければいけない相手でもない。
容姿だって関係ない。

まさにネットですよ。

自分の好きなことだけでコミュニティと関わっていられるんです。

どうですか?
知音ってすごく良い言葉だと思いません?

僕は良い言葉だと思いました。

今回のように一言多かった解説でしたが、これを人は「蛇足」と言います。

井原西鶴ではなく蛇足です。

鶴ではなく蛇の足ですよ。

サムネ出典はこちら