「上善如水」は故事成語だって知ってた? 意味と由来を紹介!

日本酒の名前が始まりじゃないんですよ!笑

元々は「上善は水のごとし」という故事成語なんですね。

ちなみにお酒の方の上善如水は新潟のお酒です。
すっきりとしてい飲みやすい日本酒です。

越後湯沢あたりに行くと猛プッシュされてますね~。

上善如水の麹で作った化粧品なんかも出していて、新潟県内のホテルではトラベルセット(洗顔、化粧水、乳液だったかな)を無料でプレゼントしてくれるところもあります。

じゃなくて

故事成語の方を見ていきましょう!

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「上善は水のごとし」の意味

今回も『ここから生まれた故事成語』から引用しますね。
詳しい解説付なのでお気に入りです。

人間の生き方でもっとも理想的な生き方は水のように生きることだ。

以上が意味になります。

「上善は水のごとし」の由来

出典は『老子』の八章だそうです。
解説はこのようになっています。

「上善は水のごとし(最上の善は、水のようなものである)、水は善く万物を利して而(しか)も争はず(水は上手にすべての物に恩恵をあたえるだけで、他のものと争わない)。衆人の悪(にく)む所に処(お)る(だれもが嫌がる場所にいる)。故に道に幾(ちか)し(だから道に近いといえる)。夫れ唯だ争はず、故に尤(とが)無し(そもそも他の者と争わないから、咎められないのだ)」とある。

老子は「不浄・柔軟・謙徳」を追い求めた思想を持っていました。
水にはこの三点が揃っているんですね。

水は器の形にしたがい形を変える「柔軟さ」を持ち、自らを主張せず低い所へと流れていく「謙徳(謙虚さ)」を持ち、「不浄(巨大なエネルギーを持っていても静か)」である。水のあり方こそ、人生の災禍を免れる処世法であり、人間が理想とする生き方であるとしている。

「上善は水のごとし」を考える

誰もが嫌がる場所にいる?
というのは、どうやら誰もが嫌がるくらい低いところに溜まっているという意味らしいですね。

雨が降って水たまりができれば泥水になります。
人に踏まれても物言わず留まり続ける…。

そんな水を愛おしそうに眺めるお爺さんがいたら、それが老子です。

「上善は水のごとし」って単純な意味を持っているだけでなく、それそのものが老子の思想なんです。

「柔軟さ」「謙虚さ」「不浄」

この3つを兼ね備えた生き方こそ、人間の理想的な生き方である。

と言っているわけで、つまり「上善如水」とは「柔軟さ、謙虚さ、不浄を持った生き方」のことになるわけです。

果たしてこの生き方は現代でも有用でしょうか?

少なくとも「柔軟さ」は必要ですよね。
でも様々な状況に対処する柔軟さを持った人間が、謙虚で不浄かといえば微妙なところです。

まず、老子の時代と現代では社会が全く違う様相を呈していますね。

老子の時代はほとんどの人間が貧しかった。
一方で現代…特に日本はほとんどの人間が一定の水準で生活できているわけです。

重要なのは、どのステージに老子の思想を適用して考えるか

いかに金を稼いで裕福に暮らせるか、という世界で生きる人間の柔軟さは稼ぎ方のバリエーションになるのかもしれない。
いかに金を節約して暮らせるか、という世界で生きる人間の柔軟さは節約の仕方になるのかもしれない。

確かに水のような柔軟さはどこに行っても重要になるわけです。

しかし競争原理に否応なく曝される現代に不浄が存在するか?という話になると、なんとも言えない。

なにせ金がなきゃ食っていけないわけですからね。

昔はそんなしがらみもなかったのでしょうか。

いずれにせよ、こうした思想は個人がどう捉えるか、ですね。

水のように生きる、と決めるのは結構ですが、

1つの思想を信条に生きるのは、柔軟な生き方と言えますか?

老子思想における決定的なジレンマです。

以上、ブラック企業を脱出したニートの戯言でした。

ところで、就活生はセミナーで何言われるか知りませんけど、いいかげん「自分は~のような人間です」と言うのはやめましょう!
あれたぶん面接官笑い堪えるのに必死ですよ!

「自分は水のような人間です!」

「ああ、周りに流されて生きてるんだな」なんて思われないように!

サムネ出典