「背水の陣」を考える

まずは、故事ことわざ辞典を引いてみます。

【読み】 はいすいのじん
【意味】 背水の陣とは、失敗すればもう後がないという、せっぱつまった立場で事に当たることのたとえ。
【背水の陣の解説】
【注釈】 川・湖・海などを背にして構えた陣立てを意味し、退却すれば水に溺れてしまうことから、一歩も退くことができないという状態で事に当たることをいう。
漢の功臣韓信が趙と戦ったとき、兵たちを敢えて山上の砦から下ろして不利な立場にし、川を背にして戦わせた。兵たちは一歩も引けない状態で、死に物狂いで戦闘し、趙の軍を打ち破ったという『史記・淮陰侯列伝』にある故事に基づく。
【出典】 『史記』
【注意】 「背水の陣を敷く」とは言うが、「背水の陣を引く」とするのは誤り。
【類義】 井を塞ぎ竈を平らぐ/糧を捨てて船を沈む/釜を破り船を沈む/川を渡り船を焼く/船を沈め釜を破る

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意味

背水の陣とは、失敗すればもう後がないという、せっぱつまった立場で事に当たることのたとえ。

由来

『史記』の淮陰侯(わいいんこう)列伝に載っているものが由来だそうです。
三省堂ワードワイズ・ウェブには以下のようにあります。

原文

信及使二万人先行出、背レ水陳一。趙軍望見而大笑。・・・・・・信曰、・・・・・・兵法不レ曰、陥二之死地一而後生、置二之亡地一而後存。〔信(しん)及(すなわ)ち万人をして先行して出(い)で、水を背にして陳(じん)せしむ。趙(ちょう)軍望み見て大いに笑う。・・・・・・信曰(いわ)く、・・・・・・兵法に曰(い)わずや、これを死地に陥(おとしい)れて而(しか)る後(のち)生き、これを亡地(ぼうち)に置きて而る後に存す、と。〕

訳文

(漢(かん)の二年《前二〇五》、漢軍が彭城(ほうじょう)で楚(そ)軍に敗れた。諸国は次々と漢に背いた。漢王はその臣韓信(かんしん)に各国を征伐させた。韓信は趙(ちょう)を討とうとして井陘口(せいけいこう)《河北(かほく)省井陘(せいけい)県の北》の隘路(あいろ)を突破しようとした。趙軍はそこに二十万の兵を集結した。漢軍は部下二千に赤い旗を持たせ、山中に伏兵として隠しておいて、)韓信は一万の兵を先発させ、井陘口を出て河を背にして陣を布(し)いた。趙の軍はこれを見て河を背にする兵法があるかとあざけって大笑いした。(翌朝、趙軍が陣地を出て攻撃してくると、韓信の軍はわざと負けたふりをして河辺に退却したが、そこで死力を尽くして趙軍を防いだ。その間に山中の漢の伏兵が趙軍の陣地に入り、赤い旗を掲げた。趙軍が慌てふためいているところを、漢軍は挟み撃ちにして大いに破り、趙の成安君(せいあんくん)《=陳余(ちんよ)》を泜水(ていすい)のほとりで斬(き)り、趙王、歇(あつ)をとりこにした。戦後、諸将が韓信に河を背にするというのは普通の兵法にはないが、なんという戦術なのかと尋ねた。)韓信は「・・・・・・兵法に、軍を死地に陥(おとしい)れてこそ生きる道がある。必ず滅びる境遇におかれてこそ存する道がある、というではないか。」と答えた。

ちょっと考えてみる

これはもう有名な故事ですね。

中学生だか高校生だかに国語の教科書で必ずと言っていいほど出てくると思いますし、まあ出なくても本やらドラマやらで散々使われています。

日常会話でも使いますよね。年配の方とか仕事でよくかっこつけて背水の陣で云々言いますもんね。

ところで人間、一歩も退けない状態になったら韓信の軍のように明らかな劣勢からでも挽回できるものなのでしょうか。

現代の「背水の陣」は気合いを入れるときに使ったり、希望的観測を冗談めかして言う場合に使うケースが多い気がします。
詰まるところ、本当にこれが成功しないともう終わりだという状況から挽回した人のストーリーに使われる言葉としてよりも、もっと広範な意味を持ってきていると思うのですよ。

それだけ現代から危機的状況がなくなり、平和になってきている証左でもあるのでしょうね。

しかしまあ世の中には実際の死だけでなく、精神的に追いつめられていたり、社会的な死なんてものもあるわけで。

僕のようにブラック企業を命からがら脱出して、二度とサラリーマンにはなれない精神構造を持ってしまったからには、こうして人に会わず引きこもってネットビジネスでも始めなければいけない状況というのもあるわけですよ。

貯金が尽きたら終わりです。

まさしく背水の陣ですね。

いつまで耐えられるか分かりませんが、頑張って戦ってみます。

※サムネ画像はこちらお借りしました。